μ's Final LoveLive! 〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜から2年

一つのスクールアイドルが伝説となった、μ's Final LoveLive! 〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜から2年が経つ。


何となく当時の記憶を思い返してみるいい機会なので、正直なことを書いていく。

当時は気が気じゃなかった。2016年4月1日。μ'sとしての活動が今日で一区切りついてしまう。
なんとなくフェードアウトするのてはなくしっかりと区切りをつけられる嬉しさとか、もう二度とμ'sとしてのパフォーマンスを眺めることはできないだろうからこれが最後の機会だからしっかりと目に焼き付けておこうとか、でもやっぱり離れたくないという悲しさとか、色々あったけれど、一番は怖いという感情だった。怖かった。

同時に悔しかった。
前日物販に仕事終わりに駆けつけて、μ's一色に染まった東京ドームを眺めながら、楽しみだしどんなことがあっても今を最高にしようって思っていたけど。

4月1日公演、1曲目の「僕らのLIVE 君とのLIFE」、2曲目の「僕らは今のなかで」が終わった後のMC。
去年、1度だけその日の映像を全て見返す機会があった。一人で向き合おうとするのはとても無理だと思っていたから、せっかくお誘い頂いたし向き合おうと決めた。

未だにその日の映像を観ることができない、という人が周りに何人もいる。
当時の何があったかは言うまでもないことだけれど、銀河一南ことりちゃんへの愛が深い人がステージ上で、その人の思い描く南ことりちゃんを思う通りに演じることができないかもしれない。
そんな光景を目の当たりにして、正常心で居られるわけもなかった。

終演後、μ'sic Foreverの波が全世界に広がってゆく中、降りしきる雨の中で安堵と無力感に溢れていた。
やり遂げた、やりきってくれた、という安堵。
応援という行為って本当に肝心な時に何にも意味をなさないじゃん、見ていることしか出来ないじゃん、いくら頑張れとか言ったって状況なんて変わらないじゃん、そんな時応援って何の力も持たないんじゃないか、という無力感。
自分のことですらないのに、南ことりちゃんに申し訳が立たないことへの辛さ。

Final LoveLive!についてよいことを話すことはできる。自分の中の見方を変えれば、劇場版がラブライブ!の集大成であったように、プロジェクトラブライブ!の集大成としてこれほどふさわしい公演はないから。
でも嘘はつけない。見ててひたすらに辛かった。

それから4ヶ月間くらい、内田彩さんが武道館公演をやる、となった時ですら後ろ向きだった。今の状態でやるのは無理なのではと。
結果無理をしていた訳だけれど。

でもその後ろ向きになっていた気持ちを、真っ向から変えてくれたのがAqoursだったりする(これについてはまたいつか改めて書きたい)。
「だって離れたりできるはずないんだよ 思い出だけじゃないからね」
という歌詞の意味を、現在進行形で思い知らされている。
本当に畑亜貴さんには頭が上がらない。

取り留めのない文章だけど、
これがあの時の気持ちと、今の気持ちです。